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NHK「アジアの“一等国”」 検証用の画像・テキスト

NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー 第1回 アジアの"一等国"
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今から150年前、西暦1859年、ここ横浜の港から、日本は世界の荒海へと船出しました。

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長年の鎖国を解き、自由貿易を開始。西洋列強を目標に、日本は近代化の道を歩始めます。1859年、JAPAN 世界デビュー。

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それから60年後、第一次世界大戦で戦勝国となった日本は、世界の一等国に上り詰めます。

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しかし、1945年、太平洋戦争に破れ、日本は焦土と化しました。

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日本はなぜ、坂を転げ落ちていったのか? 開港から敗戦までを辿るJAPAN デビュー。第一回のテーマはアジアです。

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日本の南西に位置する台湾。ここは、日本の最初の植民地となった場所です。近代日本とアジアの係わり、その原点はこの地にあります。

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毎年行われる同郷の祭り。台湾人の殆どは、中国大陸から移り住んだ漢民族です。日本は、敗戦までの50年間に亘り、台湾を支配しました。

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台北市の公園に、日本の統治時代を生きた台湾の人々がいました。

太平洋戦争当事、台湾の青年達は、日本軍の兵士として、戦場に借り出されました。

日本は、台湾の統治に力を注ぎ、この島を足掛かりに、アジアへと勢力を拡大しました。

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半世紀に及ぶ統治で、日本は台湾の人々に、日本語を始め、日本精神を叩き込んで行きました。

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そして、太平洋戦争中、およそ21万人の台湾人を日本軍に入隊させ、次々と戦場に送り込みます。

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台湾は日本のアジア支配、大東亜共栄圏の基点となって行きます。

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日本の傀儡国家、満州国。ここに、5千人を超す台湾人が移り住みました。

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台湾の人々は、満州国の役人や技術者となり、日本の支配を支えました。

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太平洋戦争勃発後、日本軍が占領したインドネシア。

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台湾での統治経験を生かし、人々に日本精神の体得を強制して行きます。

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「私達は、どんなに苦しい事でも我慢して、力いっぱい働いています。あのアメリカや、イギリスや、オランダに負けてはいけないと思うと、どんな事でも苦しくありません」

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日本のアジア支配の原点となった台湾。そこから、近代日本とアジアとの関係が見えて来ます。50年間の日本の台湾統治を象徴する2枚の写真です。人間動物園、そして、台北第一中学校の生徒達。

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台湾の先住民族です。およそ100年前、日本が彼らをロンドンに連れて行き、博覧会の見せ物として展示しました。この写真には、世界にデビューした日本が、一等国に上り詰めるまでの歴史が秘められています。

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日本が開港して間もない19世後半、西洋列強が注目していたのは台湾でした。

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当事、イギリス、フランスなどの列強は、アジアに狙いを定め、競い合って植民地を獲得していました。

台湾は、列強にとって、地理的に重要な場所でした。台湾を基点に、中国大陸へ勢力を拡大しようと目論んでいたのです。

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フランス外務省に残された資料です。

「イギリスやドイツが台湾を獲得しようとする動きがある。彼らが台湾を侵略するのなら、フランスは何らかの行動をとる」

列強の植民地奪い合いの最前線となった台湾。その台湾を領有したのはJAPAN、日本でした。

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日清戦争に勝利した日本は、台湾を獲得します。この台湾領有の背景には、列強のアジア進出に対する日本の危機感がありました。

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世界の植民地を研究しているパスカル・ブランシャールさんです。

「日本を開港させたのは、アメリカの軍艦でした。又、フランスは、東南アジアのベトナム、カンボジア、ラオスを植民地化し、中国南部にも勢力を広げていました。フランスの軍部では、日本の植民地化も議論されていた程です。そこで日本は、植民地化されない国になる為、欧米列強に習い、自ら植民地を持つべきだと考えたのです」

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明治政府が外交の指針としたのは、西洋列強の間で定められていた国際法、万国公法です。ここには、国のランクが記されています。世界の国々は一等国、二等国、三等国に分かれている。一等国とは、イギリスやフランスなど、ヨーロッパなどの五大国である。三等国は、他国の意のままになる。日本は、こうした世界観を持つ西洋列強と向き合わなくてはなりませんでした。

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日本は、防衛ラインを広げる為、アジアへと進出。日清戦争に勝利した1895年、南の要として台湾を獲得したのです。同じアジアである台湾を最初の植民地としました。現地統治機関、台湾総督府を置きます。

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当事の首相、伊藤博文は、台湾の統治が、一等国を目指す日本の運命を握っていると考えました。

「台湾の統治に失敗すれば、日の丸の御旗に光が失墜する」

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初めての植民地を日本はどの様に統治したのか? その詳細を知る手掛かりがあります。台湾総督府所文書です。日本内地の行政文書は、太平洋戦争の終結直前に、多くが焼却されています。

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台湾総督府所文書は、統治の実態を明らかにする貴重な資料です。台湾領有から敗戦までの50年間の記録は、2万6千冊に及びます。総督府は、衛生、教育、軍事、民生、警察など、最大でおよそ2万7千人の官僚を抱える巨大な組織でした。日本は、統治に力を注ぎます。

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しかし、領有直後から、問題が噴出します。漢民族としての伝統や誇りを持つ台湾人が、日本の支配に対して、激しい抵抗運動を起こしたのです。

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台湾中部、雲林に暮らす邱順意さん。

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邱さんは、親類達から、住民が武器を取って、日本軍と戦った様子を伝え聞いています。

「日本軍は、川の下流から来ました。台湾人は、川の両岸で待ち構えていました。山の中にも潜んでいました。日本軍を取り囲んで射撃したのです。しかし、日本軍の攻撃は、凄まじく恐ろしかったと聞いています。この辺りの川は、死者の血で真っ赤に染まったといいます」

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武力で制圧しようとする日本軍に対し、台湾人の抵抗は、激しさを増して行きます。戦いは全土に広がり、後に、日台戦争と呼ばれる規模へと拡大して行きました。

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戦いによって、台湾の宝と言われる重要な産物が被害を受けます。楠から作られる、樟脳という物質です。台湾の樟脳は、世界のシェアのおよそ7割を占め、西洋列強から注目されていました。

19世紀後半、イギリスでは、樟脳を使って、ある製品が作られていました。当事、新しい素材として爆発的に普及していた、セルロイドです。様々な生活用品に使われる、万能の合成樹脂でした。

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樟脳は、軍事面でも需要がありました。

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スウェーデンの科学者、アルフレッド・ノーベルです。1887年、ノーベルは樟脳を使い、新しい火薬を開発しました。

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煙の少ない、無煙火薬です。無煙火薬は、相手に居場所を探られにくい事から、世界中の軍隊で使われる様になります。政界に、幅広く輸出されていた、台湾の樟脳。しかし、混乱する日本の統治化。樟脳工場は次々と操業を停止して行きます。

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行き詰る日本の統治を、台湾のイギリス領事館は、冷徹に観察し、本国に報告していました。

日本が台湾を領有した翌年、1896年の報告です。
「数ヶ月前には、価値のある、重要だった樟脳の産地が、日本の統治によって、永遠に廃墟になってしまった」

フランスもまた、日本に厳しい評価を下していました。
「非常に素晴らしい島が、全くの未経験者に支配された。極めて残念な事だ」

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日本の台湾統治を研究して来た、マーク・ピーティーさんです。

「日本は、自らの植民地統治を未熟だと認識していました。しかし、一方で、ヨーロッパの植民地大国であるイギリスやフランスに、自分達には統治能力がある事を示したいと考えていました。ですから、台湾統治の結果は、日本にとって大変重要でした。日本は台湾を自らの能力を見せる為のショーケースにしたかったのです」

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台湾統治を成功させ、一等国を目指す日本。しかし、統治の方法を巡り、政府内で大きな混乱が起きていました。

原因の一つは、明治政府が作った憲法にありました。台湾領有の6年前に発布されたこの憲法には、植民地の規定が記されていなかたったのです。

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明治憲法の下では、日本の領土に生きる人は、みな天皇の臣民であるとされました。これに従えば、日本が領土とした台湾の人も、天皇の臣民となります。しかし、民族も習慣も異なる台湾人を、臣民として日本人と同様に扱うべきか、議論が起きます。日本は、世界の二大植民地大国、フランスとイギリスを参考にします。

フランスが、アルジェリアの統治で掲げたのは、同化政策でした。フランス国内と同じ法律をアルジェリアにも適用し、フランス国民として生きるよう求めました。

一方、イギリスの植民地、インドの統治は、対照的なものでした。イギリスは、イギリス人とインド人を明確に区別し、現地のみに通用する法律、特別法によって統治しました。

日本の下した結論は、言わば、フランスとイギリスの折中案でした。台湾人を日本人と同じ天皇の親民と位置付けながら、台湾のみに通用する特別法を定めたのです。

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台湾領有から3年後、1人の官僚が台湾に着任し、統治の改革に乗り出します。総督府No.2の民政局長、後藤新平です。後藤は、台湾全土の調査を行います。臣民と位置付けられた台湾人の実態を把握する為でした。

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台湾には、漢民族の他に、台湾族を始め、14の先住民族が暮らしています。先住民族が暮らす山間の地域は、樟脳の産地に近い事から、治安の安定が一際重要でした。

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後藤は、先住民族の村々に、自ら足を運びます。そして、日本からは、人類学者や法律の専門家が入り、調査をします。

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台湾総督府所文書の中に、先住民族の調査報告書が残されています。

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「これは当事、台南地区で生活していた先住民族です。顔の刺青や使用していた武器も細かく書かれています。この民族には、首狩りの習慣がありました」

後藤が、語った言葉があります。ヒラメの目をタイの目に変える事はできない。台湾人を日本人に変える事は難しい。風習や文化が異なる台湾人を、親民として日本人と同じ法律で統治して行く事は、困難であると判断します。後藤は、台湾のみに適用される法律、特別法を駆使して行きます。先ず手を付けたのは、住民の抵抗運動を抑える事でした。

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後藤が考え出した条例、匪徒刑罰令です。日本内地では有り得ない、厳しいものでした。

「略奪、殺傷にのみならず、建物や標識、田畑を破壊した者は死刑。未遂であっても同罪とする」

総督府警察が匪徒、犯罪者とみなせば、たとえ未遂でも、死刑に処せられました。

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匪徒刑罰令によって、死刑となった台湾の人々です。条例施行後の5年間で、3千人に達しました。

日本統治への抵抗を根絶させる為、後藤は、台湾人の協力者を取り込んで行きます。

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柯徳三さん、87歳。柯さんの祖父は、日本の統治に協力した1人でした。

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祖父、秋潔さんです。一家は、中国福建省から移り住んで来た漢民族でした。秋潔さんは、逸早く日本語を学び、日本の統治下で生きて行く決意をします。

柯徳三さん:「金のない貧乏の農民として終わったって人、私の祖先達はですね。渡って来たその祖先達はね。その、この土地で経営して、田畑を植えて、生活しているのに、今更大陸へ戻ったら、何も出来ない。びた一文ない。だから、結局帰れない」

地区の纏め役だった秋潔さんは、住民を監視し、総督府に報告する役割を担わされました。後藤は、秋潔さんの様な人物を、組織化して行きました。

柯徳三さん:「あの~、住んでる住民達をね、1人でも漏らさない様にコントロール出来る訳だ」

NHK:「周りの人達から、どう思われてたんですかね?」

柯徳三さん:「周りの人達は恐らく、僕らが少年の時は、ああいう事は分かりません。大人になってから後で考えたらね、恐らく、あんたは日本人の走狗だって。日本人の人に使われとった奴隷だと。そういう考え方、やっとったかも知れませんね」

後藤は、日本人児童が通う小学校とは別に、台湾人が通う公学校を開設。統治に必要な日本語の初等教育を始めます。

柯秋潔さんは、公学校の日本語教師も努めます。日本の統治に協力して来た秋潔さんは、息子の文徳さんを、日本人が通う小学校に入学させます。それまでの功績から、通学が認められると考えたのです。しかし、この事が総督府で大問題となります。

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台湾総督所文書に、小学校校長の報告書が残されていました。

「台湾人指定在籍の事件。柯文徳という台湾人が、学校内にいる事を発見しました。真に恐縮な事でありまして、直ちに退学を命じました」

後藤は、すべての学校に通達を出します。

「台湾人の児童と日本人の児童は、教育の目的が異なる。こうした規則が徹底されなければ、統治の目的は、永久に達せられない」

退学させられた柯文徳さんは、徳三さんの父親です。

柯徳三さん:「もし、これを許せば、総督はこれを許せば、小学校にどんどん台湾人が入るかもしらんと恐れたんでしょ。つまりあの、加害の民である台湾人を、日本語を教育する為に公学校っていうのをこしらえたんだから・・・。おまえらは、喋る事に事欠かず、私仏の生活に事欠かない程度の日本語を覚えれば、それでいいんだと。そいうつもりなんでしょ」

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後藤は、統治の基礎を固めながら、台湾の宝である樟脳産業の建て直しに着手します。生産現場を管理し、労働者への指導を徹底します。

「1カ所で楠を切り終わったら、直ぐ別の場所で働けと命じられました」

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樟脳貿易の拠点となった港、キールン(基隆)。後藤は、自ら陣頭指揮を執り、小さな入り江だったキールンを、大型船が入れる港へと造り変えました。更に、南北400キロを結ぶ縦貫鉄道を建設。樟脳の輸送ルートを確保しました。総督府は、樟脳の販売を独占します。後藤が赴任した2年後には、樟脳の事業は赤字を解消。現在の価値で、年間およそ100億円の収入を上げる様になります。

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台湾10年間の進歩。後藤の時代に総督府が出版した欧米向けのパンフレットです。そこでは、台湾が金の成る島になった事をアピールしています。台湾を急速に発展させた日本には、一等国の資格がある事を強調したのです。

イギリスの商社にとって、台湾の樟脳は、重要な貿易商品でした。後藤の改革により、樟脳が安定的に供給される様になった事を、イギリスは歓迎します。

「日本の政策によって、我が国にも、多大な利益が齎される事になる。今後、半世紀に亘り、台湾の樟脳は、世界中に供給されるであろう」

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台湾領有の15年後の1910年、日本は、統治の成果を世界に示す絶好の機会を得ます。ロンドンで開かれた、日英博覧会。日本とイギリスの友好関係を祝う催しでした。

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近代国家として、坂を駆け上って来たJAPAN。会場では、日本の産業や文化が、幅広く紹介されました。訪れた観客は、およそ800万人。特に人気を集めたコーナーがありました。

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台湾の先住民族、パイワン族。日本は、会場内に台湾の人々の家を造り、その暮らしぶりを見せ物としたのです。

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日英博覧会のガイドブックです。そこには、台湾の人々が、客の前で戦いの踊りをし、戦闘の真似事をすると、記されています。

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当事、イギリスやフランスは、博覧会などで植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を展示する、「人間動物園」と呼ばれました。日本は、それを真似たのです。

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「当事、西洋列強には、文明化の使命という考え方がありました。植民地の人間は、野蛮な劣った人間であり、ヨーロッパの人々は、『彼らを、文明化させる良い事をしている』と信じていました。それを宣伝する場が、『人間動物園だった』という訳です。この時代、日本もまた、『世界には民族の違いに基づいて、階層がある』と考える様になりました。そして、『自分達は、階層の頂点にあり、その下に、アジアの他民族がいる』 そうした世界観が、ハッキリと根付いて行ったのです」

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台湾南部、高士村。台湾族が暮らす村です。およそ100年前、日英博覧に連れて行かれたのは、この村の出身者達でした。

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博覧会の会場で売られていた、台湾の人々の写真です。裏には、「高士村から来た」と、記されていました。

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展示された青年の息子、許進貴さん。

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「悲しい。ふふふふふ・・・・・」 そして、娘の高許月さんです。

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父親の名は、チャバイバイ・プリャルヤン。チャバイバイさんは、生前、博覧会について、子供達に語る事はありませんでした。

高許月さん:「悲しいね。この出来事の重さは、語りきれない」

通訳?:「話しきれないそうだ。悲しいね、この話の重さね、話しきれないそうだ」

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ヒラメの目をタイの目に変える事は出来ない。後藤新平は、独自の法律で抵抗運動を抑え、樟脳産業を立て直しました。日本は、台湾統治の成功を誇示し、世界に一等国入りをアピールしました。

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その後の台湾統治を象徴する1枚の写真。台北第一中学校の生徒達。この写真には、台湾人に日本の文化を叩き込み、民族性まで奪って行った歴史が秘められています。
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1914年、日本の台湾統治に大きな影響を及ぼす戦争が起こります。第一次世界大戦です。

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日本はこの時、イギリス側に立って参戦。戦勝国の一員となります。

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1919年、パリ。第一次世界大戦の戦後処理を話し合う、パリ講和会議が開かれました。

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日本はこの国際会議に、イギリスやフランスなどと並んで、始めて5大国の1つとして招かれます。

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64人の大代表団を送り込んだ日本。JAPANは、ついに、列強国から一等国と認めれたのです。

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この時、アメリカ大統領ウィルソンの発言が、世界の植民地に大きな影響を及ぼしていました。民族自決主義。それぞれの民族が、自らの運命を決定する権利を持つという考え方です。

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ヨーロッパでは、民族自決主義に基づいて、ポーランドやチェコスロバキアなどが独立を果たして行きます。民族自決主義は、アジアの植民地にも火をつけます。

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民衆に呼び掛ける、インドの指導者ガンジーです。ガンジーは、イギリスの統治に対抗し、非暴力不服従運動を展開していました。

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フランス統治下のベトナムでも、民衆の抵抗運動が始まります。そうしたうねりは、ホーチミンの武装闘争へと発展して行きます。

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日本が統治していた朝鮮でも、独立を求める激しい抗議行動が起きます。3・1運動です。市民がデモを繰り返し、朝鮮総督府の警察部隊と衝突。多数の死傷者が出ました。

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そして、台湾でも、日本の統治に意義を唱える運動が始まります。

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将松輝さん、96歳。将さんの父親は、民族運動を率いた1人でした。当事は、病院を経営する医者でした。

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「向こうに見えている義美というお菓子屋、あそこは親父の病院、大安病院の跡です。上は、始めは病室だったけど、後は全部、運動の集会場になった。あの当事の民族運動の本拠地だったんです」

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父、将渭水です。将は、武装闘争ではなく、出版や講演会などの言論を通じ、民衆に民族意識に目覚めるよう呼びかけました。

将松輝さん:「警察はもう、民衆の中に入り込んでいるから、誰がどういう思想を持っているかも、一目瞭然だ。だから、出来る筈はない。武装闘争出来る筈ない」

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台湾議会設置請願運動。台湾住民から成る議会を設置し、法律と予算を審議する権利を要求しました。言わば、台湾人の自治を求めたのです。

1921年、日本の国会に、台湾議会設置の請願が提出されます。この時、日本は、世界の民族自決の潮流と逆行します。

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首相原敬は、議会で、自らの統治方針を語りました。

「台湾のすべての程度に応じて、内地の法律を施行す」

原が進めようとしたのは、同化政策です。法律上、台湾を内地と同様に扱う事で、民族運動を収めようとしたのです。原が示した方針に対し、議員から疑問が投げかけられます。

「フランスでは、同化政策を採用していたが、次第に廃棄している。今これから、日本だけが、同化政策をとるのか?」

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このころ、フランスは、アルジェリアの同化政策を放棄していました。住民の反対運動が激しさを増し、植民地を同じ法律で統治する事の限界が露呈していました。

しかし、原は答えます。

「他の国がどうであるからと言って、日本にもそれを敷く訳には行かない。他の国の植民地と、日本の植民地は違う。現に、ここに内地同様になった例がある。琉球だ」

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明治維新の11年後、琉球は沖縄県として、日本に組み込まれます。沖縄には、内地の様々法律が、次第に導入されて行きました。参政権が認められ、税制や徴兵制が敷かれました。

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その結果、日露戦争では、2千人の沖縄出身者が、日本の兵士として戦場に立ちました。

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原は、台湾議会の設置を認めませんでした。台湾人が、明治憲法下で、同じ臣民であると定められている以上、沖縄の様に同化する事を求めたのです。

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台湾の同化政策で、先ず重視されたのが、教育でした。それまで台湾人は、日本人と別々の学校に通っていました。同化政策によって、同じ小学校に通える様になります。更に、日本人しか通う事の出来なかった、中学校への進学も許可されました。

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かつて、父親が、日本人小学校を退学させられた、柯徳三さんです。柯さんは、同化政策によって、日本人と同じ小学校を卒業し、中学校に進学しました。

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柯さんが通った旧制中学校、台北第一中学校を卒業した、台湾の人々です。

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78歳から96歳までの卒業生が、一堂に会した同窓会です。

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台北一中時代の柯徳三さんです。クラスメートは50人。その内、台湾人の生徒は2人だけ。他はみな、日本人です。同化政策の実態は、台湾人にとっては厳しい制限付きのものでした。

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それでね、一中なんかね、あんた、台湾人は3%しか、3%ぐらい。

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うちらが台北一中を受ける為には、日本人より勉強しないと受からないですね。

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日本人になりたい、小さい時から日本人になりたい。どうして台湾人というものに生まれたかなんて考えたけどね、小さい時ね、小学校の時ね。

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狭き門を潜り抜け、中学校に入学した台湾の生徒達。しかし、日本人が大多数を占める中で、より多くの偏見や差別に苦しめられる事になります。

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台湾人の豚の角煮ね、ローバーだな。ああいう物を弁当に持ってってるでしょ。そうすると笑われるんだ。笑われるから・・・。特に豚の尻尾ね。「あれなんだ。豚の尻尾だ」「台湾人は、豚の尻尾を食うのか」と、ワイワイと騒ぎ立てるんだね。

そういう事だから、だから家に帰って、母に文句言ったんです。弁当のおかずを日本式にしてくれ。玉焼きとかね、たらことかね、ああいう物をやってね。そして、なるだけ台湾食をなくしてくれって要求したんです。

だから、私の母もずいぶん苦労したよ。さくら干しとか、みりん干しとかね、ああいう物をおかずにして持って行く。そしたら、弁当の蓋開けるのも堂々と開けられる。台湾式のおかずを持ってったら隠さんといかん。恥ずかしくて・・・、笑われるから・・・。

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台北一中を卒業した生徒達は、日本人の生徒同様に高校や大学に進学しました。社会に出ると、更に露骨な差別を受ける事になります。

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僕の親父は一番下の判任官になってたけど、あんたね、月100円貰うって人は、同じ判任官でも、僕の親父は100円で、内地人は160円貰えるんだ。同じ職場で、同じクラスで・・・。

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父も華南銀行におったんですが、台湾人だと伸びないんですよ。だからみんな、お医者になるって・・・。お医者になったら、技術次第だから・・・。

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私のいとこ姉さんが日本人の嫁になって日本へ行ったけどね、戸籍が入らん。こういうのが差別でしょう。それでずいぶん苦労したんだ。最後の最後まで、台湾人である身分を隠さんといかん。

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台湾に於いて一等国民は内地人で、二等国民は琉球だ。三番目がね、台湾人だ。

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台湾には当事、およそ1万人の沖縄出身者が暮らしていました。とりわけ多かったのが、教員関係者でした。日本は、既に同化が進んだ沖縄の人々を台湾に送り込み、指導に当たらせていました。

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NHK:「日本時代をどう思いますか?」

「もう嫌だなぁ。(虐められる) 嫌だ! 差別! 馬鹿にしよって!」

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1923年、台湾総督府で、大きな計画が持ち上がります。皇太子を台湾に招く行啓です。

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総督府が纏めた台湾行啓記録には、その目的が記されています。

「我が国行動の博大なる仁愛を示し、遠く離れた台湾の民に、すがるべき主君を知らしめる」

皇太子を招く事で、台湾人に日本人と同じ臣民である事を実感させようとしたのです。

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皇太子を迎える予行演習。並んでいるのは、先住民族です。

演習に参加した先住民族の言葉が残されています。

「困ったのは、『不動の姿勢』というやつだ。背中から汗が流れるが、拭く事も出来ない。のみならず、目の玉さえ動かす事もならぬ。それは、自分らには、生まれて始めての大苦痛であった」

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1923年4月、皇太子、後の昭和天皇が台湾に到着。当事皇太子は、病気だった天皇に代わり、公務を担っていました。

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皇太子は、12日間に亘り、台湾各地を回りました。

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視察したのは、統治によって日本化されて行く、台湾の姿でした。皇太子は、学校や工場など、およそ100箇所を尋ねました。

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そして、訪れた先々で、台湾の人々に姿を見せました。

台湾行啓記録の文書です。

「台湾人は、日の出国の民という自覚に歓喜している。彼らは、今や朝廷忠良の民となった」

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皇太子の行啓を千載一遇の機会だと捉えた人物がいます。台湾議会設置運動の指導者、将渭水です。

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将は、皇太子の一行が、自分の病院の前を通過する事を知ります。考え出したのは、皇太子に直接、台湾議会の設置を訴える事でした。

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「親父がそのコースを狙って、大きなのぼりを作った」

恭しくお迎えいたします。台湾議会請願団。

のぼりに書かれた言葉です。

NHK:「歓迎しますって意味ですね?」

将松輝さん:「いや、目的は悪くない。目的はただ、こういう事、台湾人がこういう事やってる事をね、摂政宮(皇太子)に知らせたかった。みな、あれ、雲の上の人でしょ。みな、知らないよね。台湾人がそういう事やってる事、全然知らないよ。だから、知らせようと思ってこれを作った訳」

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将渭水の病院前を通過する、皇太子の一行です。しかし、そこに将の姿はありませんでした。実行直前に警察に見つかり、拘留されたのです。台湾議会の請願は、14年間続けられましたが、認められる事はありませんでした。

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台湾の民族運動を研究して来た歴史学者の周婉窈(シュウ・エンヨウ)さんです。

「この時台湾人は、日本からの独立を求めていた訳ではありません。日本の統治を認めた上で、自治を求めていたのです。ですから、日本人が台湾人の訴えに答えて、自治を許していたら、日本はアジアで新たな世界を作り上げる事になった筈です。そうすれば、今日でもアジアの人々の支持を得る事が出来たでしょう。しかし、日本は、この分岐点に差し掛かった時、そうした行動をとる事はありませんでした。台湾人の自治を認める事はなかったのです」

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1937年、日中戦争が勃発。台湾統治が、新たな局面を迎える事になります。

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当事、台湾には、およそ500万人の漢民族がいました。日本は、自らの領土内に、敵と同じ民族を抱え込む事になります。

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当事の台湾総督。小林躋造です。小林は、軍人出身者として、17年ぶりに台湾総督となりました。軍との結び付を強めた総督府は、新たな統治方針を打ち出します。

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「現下の情勢に鑑み、500万島民が、打って一丸となり、等しく皇国民たる資質を体得するを要す」

小林は、皇民化というスローガンを掲げます。

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皇民化とは、天皇中心の国家主義の下、台湾人を強制的に日本人へと変える政策でした。学校や新聞などで、中国語を禁止し、日本語の使用を強要します。

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当事、台湾総督府の官僚だった、田宮良策さんです。田宮さんは、軍部の強い要請の下、皇民化政策を担う事になります。

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「日本語を話せない人は、ご遠慮くださいという事で、バスは乗せなかったですね。しかし、人間の数からすればあなた、日本人は微々たるものなんですから、台湾人同士でこう話す時は、平気で(中国語を)話す」

「いやぁ、こっちがどうだこうだと実情を(軍の幹部に)話しながら、もう少し、方法を変えてもらえないかとかね言うと、『お前は非国民だ』なんて言うんだ。軍刀は抜かれた事はないけど、こうやられた(軍刀に手を掛けられた)事はありますな」

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皇民化政策は、人の名前変更にまで及びました。同じ時期、朝鮮半島では、新たな氏を作る創始改名が行われ、台湾では、改正名が始まりした。

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「私、林です。それで、僕のお父さんはね、林という名前で改姓名したかったんです。それ、許可出ないんです。台湾では、この林、性は必ず、中林とか、大林だとか、中林、小林という、もう一字付け加えないといけない」

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「私は、黄です。廣内ね、この字(廣)を残すように、自分元来の、それが多いんです。」

NHK:「それはどういう思いからなんですか?」

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「昔の性を残したい。昔の自分の性を残したい。改姓名は結局、公務員の方ね、職場に就いている人は、改姓名すると、昇給の条件になってしまうんです。それで、仕方なしに、みな、改姓名するんです」

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皇民化運動は、台湾人の心の中にまで踏み込んで行きます。台湾全島に、日本の神社を次々に建て、人々に参拝を強制します。

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そして、台湾人が拠り所にして来た宗教への弾圧が始まります。

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道教寺院や、廟の参拝を制限、建て物の取り壊しも始めます。

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この廟を管理する鄭啓松さん(80)は、少年時代の出来事を克明に覚えています。

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1938年、地域の寺院や廟に祭られていた神々の像が集められ、すべて焼かれました。

「神々を布団の中に隠した人もいれば、台所に隠した人もいました。それでも日本人は、郡の役所に持って来るよう命じました。従わない者は、29日間も刑務所に入れられるのですよ」

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新たに作られた日本の神社には、破壊した台湾の神社や、廟の木材も使われました。そして、建築には、近隣の台湾人が借り出されました。

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皇民化政策によって、台湾の人々は、台湾人であるという意識を、大きく変えられて行きます。

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「酒を飲むのも日本酒で、こういう人間に誰が育てたの? 日本だ。そして、喋るのも日本語。台湾語で、こういう演説は出来ない」

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「自称、知識人と言いながら、中国文で今言ったような言葉書けないよ。書こうと思ったら日文ですよ。そっから見れば、果たして幸福か?」

「あなた書けますか、中国語で」

「僕は書けないね」

「頭のコンピュータが、既に日本化されてしまっているから。あの、二十何年間の教育っていうのは、実に恐ろしいね。こういうの頭全部、ブレーンウォッシュ(洗脳)されているからね、だから、日本式に物を考えたり、日本式に日本語喋ったり、そういう事する」

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近年、日本統治時代を記録したフイルムが発見されました。

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そこには、皇民化政策が行き着いた先が映し出されていました。戦時下、台湾青年を集めた訓練所が、各地に作られて行きます。そこでは、皇民化政策によって、日本人としての精神が叩き込まれました。台湾の青年達は、天皇の兵士として日本軍に加わり、国の為に命を捧げる事になります。担ったのは、日本の政策、南方進出でした。

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「軍の考え方じゃぁ、南進基地にしたいと。そうすると、これはあの、従軍はね、敵国になるような人を向こうに回しちゃまずいから、結局、それは、自分の同胞にひっ付けていた方がいいと。日本人にした方が、将来、南方の海洋国家にね、なって行くのには、あそこ(台湾)を本拠地にするのは、一つの、軍部として、そう考えたんじゃないでしょうか?」

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1941年12月、太平洋戦争が勃発。日本は、戦争の目的を、欧米列強からアジアの植民地を解放する事であるとしました。

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総督府前を行進する、台湾人日本兵です。太平洋戦争期間中、およそ21万の台湾人が、日本軍に入隊します。そして、中国や南方戦線へと送られて行きました。

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台北一中を卒業した、柯徳三さんは、このころ、台北帝国大学の医学部へ進学していました。1945年4月、柯さんは、日本海軍に入隊します。

訓練中、アメリカ軍の大空襲を受け、多くの台湾人兵士が命を落としました。更に、親族も犠牲になります。

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「それだから、あの、神、神御一任の為とか、喜んで天皇陛下の為に死んで行っている。死んだやつこそ、災難だよ、ほんと。戦争で犠牲になってね。おじは、海軍の軍属で、マラリアかかって、海軍病院入っとったんだ。それで、帰れるかと思ったら帰れない、死んでるんだ。死んで、どういう病気、マラリアで死んだのか、殺されたのか、どうされたのか、分かりません、全然、。未だに分かりません。勿論、骨もありません」

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1945年8月、敗戦。

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日本は、50年に亘って統治した台湾を手放します。

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JAPAN、アジアの一等国の終焉でした。

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戦場に赴いた、元台湾人日本兵です。

太平洋戦争中、3万人を超す台湾人が、戦場で命を落としました。

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戦後、台湾を統治したのは、蒋介石率いる中国国民党でした。日本兵として中国と戦った台湾人は、かつての敵の下で暮らす事になります。

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台湾人は、日本人の奴隷になったと非難され、国民党と衝突、多くの人々が処刑されて行きました。

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「みなしごになって、捨てられたみたいです。人を馬鹿にしてるんだ、日本は。そう言うとね・・・。『間違ってるか? 本当の事だろう(台湾語)』 これ嘘じゃないの、これ帰ったらね、日本の若い連中は分からないけどね、年寄りの80歳以上の人に、あの、まぁ、宣伝してください。台湾の当事の若い青年は、如何にして日本の民に協力して、尽くしたか。心を察して貰いたい。(笑顔で)えへへ・・・。分かりますか? 当事は、命が掛ってんだ、国の為に尽くしたんだよ。命の為、それなのに・・・」

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「私達は、他者と共有できる歴史を探り当てなくてはなりません。他者の歴史を知る事は、自分自身を知る事でもあります。私達はもはや、正しく優れているのは自分で、間違っていて劣っているのは相手だと考える事はできません。世界に目を向け、なぜ、世界の人々は、日本をこの様に見るのか、理解しなければならないのです」

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親日的とも言われる台湾に、今も残る、日本統治の深い傷。

それは、今後アジアの中で生きて行く日本が、分かち合わなければならない現実です。

過去と向き合う中から見えて来る未来。

150年前に世界にデビューしたJAPANの歴史が、私達、1人1人の明日を問いかけています。


ディレクター:浜崎憲一、島田雄介  制作統括:田辺雅泰、河野伸洋
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